ねこのめ

ねこのめみたいにくるくる回る日常の出来事

ゲーマーの視点で考えた「人がゾンビを愛する理由」

(リサ・フォイルス)



人はゾンビが大好きだ。

ゲーマーはその最前線でショットガンをコックして待っている。

デッドライジング』、『デッドアイランド』、『レフト 4 デッド
ロリポップチェーンソー』、『バイオハザード』、『コール オブ デューティ』のゾンビモード
レッド・デッド・リデンプション』の「アンデッド・ナイトメア」
ゲーム版『ウォーキング・デッド』に『お姉チャンバラ』、『プラント vs. ゾンビ』もある。

これらはゲームの例だけで、映画、テレビ番組、数えきれないほどの本や
ゾンビ・アポカリプスを生き延びるための「サバイバル・ガイド」の類は含まれていない。

私たちはゾンビを求めている。ゾンビが欲しくてたまらないのだ。

なぜだろう?
私たちの知っているゾンビは人殺しの気持ち悪いモンスターだ。
彼らは生きる者の臓器を食べ、病に感染させようとする。

まともな人間には、これらはすべて起きてほしくない悪いことのはずだ。

では悪いこととわかっていながら、この病んでいるとしか思えないゾンビへの渇望は
私たちのおいしい脳のどこから来るのだろう?

「困ったときのゾンビ頼み」ゲームデザインの鉄板になった。

いつも人間相手に戦うゲームのペースを変えるには丁度いいらしい。

しかし何故ゾンビなのだろう? 

水牛の群れを撃つのでもペースは変わるだろうし
そのへんのゾンビよりよっぽど賢くて戦い甲斐もあるはずだ。

またはどうしてもオバケの類がいいなら、オオカミ男だっていいだろう。

それでもゲーム「オオカミ男アイランド」とか「水牛拡張パック」なんてものは出てこない。


私の結論から言うと、そこには罪悪感がある。

人間、オオカミ男、水牛―厳密に言ってこれらはすべて生きているため
私たちは彼らの生命を終わらせることになる。

しかしゾンビとなれば、何の罪悪感もなく怒りを標的にぶつけることができる。

ゾンビの顔なら釘のささった角材で殴ってもかまわない。

チェーンソーでゾンビ3体を串刺しにしても、世間から文句を言われることもない。
だってゾンビはもう死んでるんだから。

中には、知性のかけらもなく悲惨な姿になった彼らを葬ることで
救ってやっているのだと言う者もいる。



そこで戦うことへの動機と葛藤について考えてみよう。

コール オブ デューティ』等の戦争もののゲームでは
良い人間を守るために悪い人間を殺す。
ゾンビものでは全人類を守るためにモンスターを殺す。

人間VS人間の構図では、いつも葛藤が生じる。

自分がいる方は良い方なのか? 仲間が相手に寝返るんじゃないか? 
これは本当に公平で正しいことなのか? 本当は何のために戦うのか? 
敵にも家族がいるのでは?
 

自分が正しい側にいるかどうかは、自分で考えて判断するしかない...
そしてその側に残るかどうかも。




しかしそれがゾンビ相手となると、自分が正しい側にいるかどうかを疑う余地はまったくない。

自分は自分の大切な仲間である人類を大量虐殺から救おうとしているのだ。

ゾンビに家族はいない。ゾンビに道徳はない。
ゾンビが自分の仲間にスパイを潜ませることもない。


奴らは死んでいて、奴らをせん滅するのが正しい選択であることに一点の曇りもない。
それは襲いかかるアリの大群に殺虫剤を噴射するのと同じことなのだ。

フィクションの世界で同じように我々を一致団結させ
チーム「人類」のために戦わせるもう一つの存在は、エイリアンである。

その場合、相手の頭を吹き飛ばすべきか否かは
向こうが攻撃してきた時点で決定され、罪の意識も解消される。

が、それでも葛藤はある。

互いに歩み寄ることはできないのか? 
戦いをやめて地球外生命体と仲良く共存する方法はないのか? 
彼らの知識や技術から学ぶべきものはないのか?


エイリアンの出現は地球人に利益をもたらすかもしれないし
もし戦うとなると、釘を打った角材やチェーンソーといった庶民の武器では歯がたたないので
もっと高度な戦い方が要求される。

だから、みんな戦いやすいゾンビの方が好きなのだ。



エイリアンの方がよっぽど高度な種族なのに
人々に好かれ、より話のネタにされるのはゾンビの方だ。

これはもし現実にゾンビと戦うことになったら
不思議なことに一般人の誰もが「勝てる」と思っているからだろう。

私もゾンビなら自分がどれだけ戦えるか試してみたいと思うが
エイリアンには出来ることなら一生お目にかかりたくない。

最近のゲームはフィクションの混ざった現実的世界を描くものが多く
なかでもゾンビゲームはゾンビ・アポカリプスのありとあらゆるシナリオとシミュレーションを与えてくれる。

もし現実にその時がきたら、私たちが両手を広げて迎え入れられるように。

多くのゲーマーがゾンビものには飽きたと言うが、このコンセプトが消えることはない。

だってゾンビ退治は楽しいのだ。

だから生き残りをかけて、堂々と戦おう。