ねこのめ

ねこのめみたいにくるくる回る日常の出来事

そっか、今日は火曜市か・・・。

朝起きると、あちゃさんの悲鳴LINEが残されていた。

「最強武器、いつの間にか売っちゃってた
 ばからしくなった、もう辞める」的な、なんとも悲しいメッセージ・・・

あちゃさんと喋ってると、ウタさんも起きてきて
今日、お仕事休みだっていうので昼近くまで三人でお喋りしまくってて

今週は、娘が昼過ぎに帰ってくるので
それまでに、何か美味しいもの作ろうと思って
「ちょっとイオン行ってくるわー」と会話から外れて
無料バス待ってたんだけど、なんか・・・異常に・・・並んでる人多くて

そうか、今日 火曜日だから、火曜市

僕は、混んでるバスに1人で乗ることが出来ない
順番に並んでいるときも、僕の後ろに人が立つと怖くなってしまう
目がチカチカして、過呼吸を起こしてしまう。

並んでた列から、ふらふらと外れて
近所のスーパーへ向かうことにした。

スーパーとドラッグストアに寄って足りなかったものを補充
娘が働くようになってからは、休みの日であっても
どこへも付き合ってくれなくなった(o´・ェ・`o)

でも仕方ない、子離れしなくちゃ。

多分、今観たい映画も
1人じゃ行けそうもない、DVDを待つ。

「DVDか〜最近、新作観てないなぁ」と思って
重たい荷物を持って、近所のGEOまで行ってきた。

なるべく新作か、準新作で一週間借りられるものを5作品。











で、最初に観たのがダンケルクー!!

引きずる、めっちゃ引きずるわ・・・この作品・・・
眠たいんだけど、目を瞑ると

必死に生きようとした
名もなき兵士達の姿が浮かんできて

「戦争はあかん・・・ 戦争はダメだ・・・」

うなされています。

1940年5月下旬。

ヒトラー率いるドイツ軍と戦っていた英仏連合軍は
直前の戦略ミスも重なり、フランス北岸の小さな港町、ダンケルクへと包囲され、追い詰められていた。
将兵の数は約40万人。陸地は四方をドイツ軍に囲まれて脱出不可能な中
残された手段は海を渡ってのイギリス本土への撤退しかなかった。

イギリス遠征軍司令官のボルトン中将は、無傷で残された防波堤づたいに桟橋を作り
そこから順次兵を撤退させる「ダイナモ作戦」を開始した。

しかし、ダンケルクの海は遠浅で、大量輸送ができる大型艦が多数入港できない。

また、ドイツ軍との来るべき本土決戦に備えて
全ての艦を撤退作戦に投入するのは不可能だった。

そこで、イギリス軍は、対岸の港町から民間の小型船を多数徴発し
国民総出でダンケルクからの撤退救出作戦を実行した。

中には、ミスター・ドーソンのように愛国心に目覚めた民間人の中には
危険を顧みず自らダンケルクの危険海域へと向かう者もいた。

撤退作戦と同時に、ドーバー海峡内の安全航行を保障し
ドイツ空軍から守るため、イギリス空軍からも最新鋭の戦闘機「スピットファイアー」が投入された。

しかし、ドイツ空軍も手強く、ドッグファイトの結果、命を失う者
機体が損壊して海へ不時着する者、また、ガス欠でイギリス本土へ戻れなくなる者などもいた。

刻一刻と、陸上ではドイツ軍の包囲が狭まっていく中
果たして英仏連合軍はダンケルクから成功裏に脱出できるのか?
目まぐるしく変わる天候や潮目、そして激化するドイツ軍の攻撃。

困難を極めた撤退作戦において、陸・海・空それぞれの現場・局面で
男たちは生き残るため、どのように行動したのか?


■僕が一番、辛く気になったのが
ラストシーンで、ガス欠でダンケルク海岸に不時着したファリアの事でした
乗っていたスピットファイアに火を付け、ドイツ軍の捕虜となりました。
その後はどうなったのでしょうか?

これは想像するしかないのですが
ちょうどこの時撤退できなかった4万人のイギリス兵同様、捕虜になった後は
アウシュビッツのような強制収容所へ送られたり
強制労働に従事させられたりして死亡したのかもしれません。

実は、史実ではファリアと似たようなケースがあります。

同じようにガス欠でダンケルク海岸に着陸した連合軍のパイロット、アラン・クリストファーは
ファリアと違い、捕まえに来たドイツ兵を殴り倒してその場を脱出し
イギリスへと自力で生還したそうです。

その時の様子は、「Nine Lives」という書籍になって出版されています。

ダンケルクからの撤退作戦の大成功は、国民的な熱狂をもって賞賛されました。

チャーチルの再三の称揚演説も奏功し、これ以後しばらく、イギリスは
戦時体制下、「ダンケルク・スピリットを忘れるな」という掛け声の下
国を挙げて不眠不休で懸命に働いたそうです。

実際、1940年〜1941年のイギリスの鉱工業生産は飛躍的に伸びたとのこと。

以後、ダンケルク・スピリット」は、イギリス国民にとって
苦難・困難を乗り越える時のスローガンとして
今までよく使われている有名なフレーズとなったそうです。