ねこのめ

ねこのめみたいにくるくる回る日常の出来事

H・R・ギーガー / Hans Rudolf Giger


Necronom 4


ハンス・ルドルフ・ギーガー(1940年2月5日〜2014年5月12日)は、スイス人シュルレアリスト

画家、彫刻家、デザイナー。



『エイリアン』のデザイナーとして知られている。

ギーガーは1980年のアカデミー賞の視覚効果部門で最も優れたデザインワークを見せた映画
「エイリアン」の特殊効果チームの一員だった。

ギーガー作品の最も特徴的な部分であり、また視覚的絵画における革新性は、
肉体と機械が融合した表現である。ギーガーは自身の表現を「バイオメカニカル」と呼んだ。

2013年にはEMP博物館の「サイエンス・フィクション・ファンタジー・ホール」へ殿堂入りを果たす。



恩師「サルバドール・ダリ

ギーガーは1940年にスイス最東端にある地方行政区画グラウビュンデン州の州都クールで生まれた。
父は薬剤師で、「飯の食えない専門職」として芸術を嫌っており、
ギーガーに対しては将来、薬剤師になるよう奨めていたという。

ギーガーは1962年にチューリヒへ移動し、1970年まで応用芸術学校で建築や
インダストリアルデザインを勉強する。

卒業後、サルバドール・ダリエルンスト・フックスの影響を受け画家の道を志すようになる。

ダリやロバート・ヴェノーサといったシュルレアリストたちと交流を持ち、
シュルレアリスムやヴィジョナリー・アート(幻想絵画)の世界で活躍するようになる。

特にダリとの出会いは大きく、ダリとの出会いについてギーガーは

「私は最終的な魂の伴侶を見つけた」

と断言している。


ダリとギーガー。エイリアンの男性器の造形はダリ作品やシュルレアリスムの影響が大きい。




恋人「リー・トープラー」の存在

ギーガーの作品に大きなインスピレーションを与え、
またいくつかのギーガー作品のモデルとなっているのがリー・トープラーである。

1966年頃からギーガーは、スイス女優のリー・トープラーと付き合い始める。

1972年、全裸の彼女をキャンバスにボディペインティングを試みたりしながら
リーを女神としてイコン化、その生と美貌を永遠化する作品制作に着手し始める。

その成果が、生体廃墟美学と神秘主義を結びつけて産み出された74年のリー・シリーズである。

それは「バイオメカノイド」と呼ぶようになった。

しかし長年鬱病に苦しんできたリーは、75年に拳銃自殺する。
絶望に打ちひしがれていたギーガーが2年後に描いたバイオメカノイドの発展系が「ネクロノーム」シリーズである。


リー・シリーズ「Li 1」


ネクロノームシリーズ「Necronom I」




エイリアン

ギーガーのデザインは世の中に大変な影響を与えた。

ギーガーは、リーの追悼の意味もこめて1977年に1st作品集『ネクロノミコン』を出版する。
超特大級のA3判画集だった。

当時映画「エイリアン」の核心となるモンスターを探し求めていたリドリー・スコット
この作品集に目を留め、ギーガーは映画制作に参加することになる。

そして作品集の中の『ネクロノミコン4』を着想にして生み出されたのがエイリアンである。

エイリアンのデザインは1980年にオスカー賞を獲得する。

ギーガーが「エイリアン」の制作に参加できたのは単純に絵の才能だけではなかった。

実際は未完の映画『DUNE』にスタッフとして参加し、
ギーガーと交友を深めていたダン・オバノンの推薦が大きかった。
さらにいえば、『DUNE』製作時にダン・オノバンやホドロフスキーにギーガーを紹介したのがダリであった。

ちなみにギーガーのエイリアンの造形に影響を与えているのは、
ダリが1972年に制作した「ネフェルティティ(Nefertiti)」という作品である。

ネフェルティティとは、古代エジプト王妃の名前であり、エイリアンのルーツは古代エジプトの王妃となる。

ギーガーは、「ネフェルティティ」と「リー」と「ダリ」と「男性器」のダブルイメージによって
「ネクロノーム」を産みだしたのである。


サルバドール・ダリ「Nefertiti」(1972年)


ネフェルティティの胸像


エイリアン


ダン・オバノン(左)とギーガー(右)


映画『ホドロフスキーのDUNE』より、ギーガーによるハルコネン男爵の城デザイン画