落ちたものを拾ってあげる、ドアを開けてあげる。
誰にでもできることだけど、たいしたことじゃないさと躊躇してしまうような、ほんの小さな思いやり。
だけどそれはどこかの誰かに見られていて、思いやりの気持ちが連鎖していく。
様々な場所で拡散されていった思いやりは
やがて自分のところにも帰ってくる。
日本のことわざでいうところの「情けは人の為ならず」ってことになるわけだが
意図的にそれを狙っているわけじゃなく、結果的にそうなっていっただけで
必ずしも自分に返ってくるとは限らない。
でも、誰だって人の醜さに触れるより、やさしさに触れた時のほうが幸せな気分になれるよね。
幸せな気分になると、心に余裕が生まれて、他の人のことも良く見えてくる。
そしてその幸せな気分を誰かと共有したくなる。
図らずもその気持ちが行動になって表れる。
どこかの誰かの、ほんの小さな思いやりの心が、めぐりにめぐってもしかしたら
今の自分をどこかで救っていてくれていたのかもしれないね。
誰かのやさしさを感じた時、そのやさしさは、そこにつながるまで
たくさんの人のやさしさで紡がれていたんだね。
そしてそのやさしさは、何の気なしに自分が行った行動が
きっかけになっていたのかもしれない。
どんな出来事でも自分に起因していると考えてみた場合
今おかれている自分の状況は自分自身で作り上げているのかもしれないな。