ねこのめ

ねこのめみたいにくるくる回る日常の出来事

仏教用語。

仏教用語のひとつに「おんしつ」というものがあって

僕は、今日それに飲み込まれそうになった

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今日のことを、友達や姉妹たちや彼氏に言うと

「どうして断らないの?なんで、そこまで

 かおりがしてあげなきゃいけないの?」って

責められるのは、目に見えているのだ。

 

責めているわけではない心配だから言っているんだと

みな言うかもしれないが

自分で選んだ道なのに、後悔してしまうことが

僕は本当に多い。

 

だから、無駄じゃないよ・・・って

いつか、自分にもいいことがあるよって

聞きたかった。

 

聞くも涙語るも涙

相手を可哀想と思い、とっさに断れない自分が悪いのだけど

僕が断ったら、この人は孤独を感じるのではないだろうか

僕は、病気持ちだけどまだまだ丈夫 筋力・体力ないけれど 

 

心は、弱っちいだけ。

 

これから先、いくらでも鍛えていける

彼氏は毎日離れず、僕が自滅して逃げようとしても離さず

メンタルをケアしてくれている。

 

好き過ぎて、何気ない言葉に傷つくことも多いけど

僕が「こういうこと嫌だった」って言えるようにしてくれたのも彼氏で

それを聞いて、そんなことで怒ってたの!?って驚いて

改善してくれるから、なんかすごい人。彼氏すごい。

 

何をぐだぐだ、ずーっと書いてるかと言うと

再び、近所のおじいちゃんに介護付き添いを頼まれたのだ。

「どうしてそこまでしなきゃ」というのは

自分自身でも常々思っていた。

 

僕が付き添った途端、おじいちゃんが何もしなくなり

(おじいちゃんも放射線治療で疲れているので多分、動きたくないのね)

病院につくやいなや

紙おむつだったけど おばあちゃんが便を漏らしてしまった

自分じゃ車椅子にも乗れないから、トイレで拭き拭き

 

まさかね、自分の親の糞尿の世話より先に

近所のおばあちゃんのうんちを世話することになるなんて

すごくショッキングなことだったけど

案外、平気なもんだなと思った。

 

僕は平気。で終ったけど

おばあちゃんの心中を思うと、家族でもなんでもない僕に

シモまでばっちり見られて どーなんだろう・・・

介護され慣れてるからそこんとこ平気かな?

自分だったら、自分の体が自分ひとりでどうにも出来なくなったら

家族に迷惑掛けたくないから死んでしまいたいと今からでも思う。

 

ピンピンコロリは大事だね。

 

うんち手についたけど、平気だったな。

高校のアルバイト時代から

お客様の嘔吐の処理とかも、同僚がみんな

もらいゲロしてる中、僕が平気でやってたし

バスで嘔吐してる人の介助も、迷いなくやってた(ちょっとドヤァ!)

 

(介護の勉強でもしようかな、いつか役に立つかな)

 

うんちでベタベタになったおばあちゃんの手を

除菌しながら、そんなこと考えてた。

 

 

だがしかしf:id:nanairo1783:20190901233426g:plain

おじいちゃんは、調子に乗ったのか

武勇伝のように「付き添い介護を頼もうとしたら

7千円越えるから断ってやった」って僕に笑いながら言うけど

僕に頼んで0円にしたのよね・・・

 

そういう細かい不満が どんどん大きく

ドス黒く恨みごとになっていくのがわかったので

僕のことを不憫に思った病院のケアマネに

バトンタッチしてもらい、無事帰宅

 

でも、なんか悲しい、空しい、なにやってんだろうが消えなくて

菩薩のような、自分の母に話しを聞いてもらうことにした。

 

電話で話す前と後じゃ

地獄にいた僕が、天国とまではいかないが

とても心が安らいでいた。

 

みんなにも

こんな風に心を戻してくれる人が

友であったり、家族であったり、パートナーであったり

居たりするのだろうけど

 

僕に、こんな母が居なかったらと思うと

ずっと心が苦しいままだったのだろうな。

 

誰にも言えない人も、世の中には大勢いるのだろうな。

 

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最近よく見聞する「怨嫉(おんしつ)」について。


「過去にやられたことが許せない」
「どうせ、こいつに言っても、何しても変わらないだろう」
「自分が正しい、相手が間違ってる」等と聞こえてきます。

 

「怨嫉」とは 

人を軽蔑する「軽善(きょうぜん)」
人を憎む「憎善(ぞうぜん)」
人を妬む「嫉善(しつぜん)」
人を恨む「恨善(こんぜん)」です。


正しくても怨嫉した方が罰を受ける。
させた方ではなく、した方に罰が出る。

そう御書に書いてある。

「それが本当でも嘘でも」と書いてある。

怨嫉する理由が何であっても
功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。
人が裁くのではない。法が裁く。

 

相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。

 

風変わりな人もいるが、成長を祈ってあげること。
「~のくせに」と言ったら怨嫉になる。

正しくても怨嫉になってしまう。

 

成長を祈ってあげれば相手は変わらなくても自分は良くなる。
相手がやるからこちらも怨嫉をやり返すことを『差し違え』と言う。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。
人のために功徳を消してはつまらない。

 

人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。

 

祈ってあげれば自分も相手も変わる。

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◆ここで、ありがちな怨嫉のループ例を◆

A(恨まれる人の仮名としてAさん)を恨む

自分の状況が悪くなる

こんなに、悪くなったのは、Aのせい、もっと恨む

ひょっとしたら「怨嫉かも」と気が付く

しかし、この悪くなり続けた状況、無駄にした時間をどうしたらいい?
Aにされたことより、恨んで失敗し続けたたことや無駄にした年月、
もう取り返しつかない・・・もう、戻れないと・・・

「怨嫉」地獄に陥ります。

 

そして「怨嫉」と指摘しても頑なに「自分は正しい、相手が間違ってる」
「自分は、違う」と言い張って話が聞こえていないことも多いです。

 

Aが問題ある人なら
「Aの生命が変って、良くなりますように、成長しますように」と祈ればいいのです。

Aについて祈るのが辛ければ、Aのことをひとまず置いておく方法もありますが、
しかし、別な方法として「問題ある人を更生させて、成長しますように」と祈る方法です。

 

アレです、人参が嫌いで人参のサラダやグラッセが食べられないなら
「カレー」や「筑前煮」にして目立たないようにして、味を誤魔化して食べる
それでも食べれないなら摩り下ろして
混ぜ込んでハンバーグにして食べるような感覚です。

 

絶対に、この時Aを恨んだり
罰が下ったりするのを祈ったりしてはいけません、
あくまでも「良くなりますように、成長しますように」と祈るのです。

Aが間違っていて、治らない場合は、Aは因果の理法に裁かれますから。

無駄にしたと思ってる年月は取り戻せます。

なぜなら
「過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。」

 

「過去のことは振り返らないこと。
 良くなればいい。過去のことが活きてくるから。」の例として
ウン年前に、今の業界に入り知識がゼロな上に
今までロクな社会人経験がないという引け目を持っていた私に
あるお客さんは「逆に、経験がな方がいいんだわ、変な癖がつくと面倒だから」と言ってくれました。

 

その人の思いやりもあったと思うのですが
実際、私が働く業界は本当に変な癖がないほうが
やりやすいというのも事実です。

 

無駄や失敗も意外な成功に結びつくように動くのです。

 

怨嫉すると、自分は地獄の生命に陥り
周囲も変らずに余計に悪くなる、皆不幸・・・

逆に「生命変わって、良くなりますように、成長しますように」と祈れば
自分は仏界、皆幸せf:id:nanairo1783:20191007155620g:plain

 

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